西ベルリンの「飛び地」散歩==ドイツビール紀行2014(その18)==

>>前回の続き

西ベルリンは飛び地?その更に飛び地?

真っ直ぐに伸びる一本の道。その距離は1kmほど続く。
実はここに、かのベルリンの壁があった。それも両側に。
第二次大戦後のベルリンは、実は「西ドイツ」ではなく英・仏・米3国の管理地であり、西ドイツが政治的な代行をしていた立場なので、正式には西ドイツ領ではないが、実質的には西ドイツの飛び地の様な存在だった。

そんな西ベルリンも、何と「飛び地」を持っていた。
なるほど、地図を見ると幾つかの土地が東ベルリンの敷地の中に点在しているのがわかる。

そんな飛び地のひとつが、ビール文化研究所ベルリン支部(要するにS君宅)から車で20分くらいの所にあったので行ってみた。

2014_006_berlin_m_11280px-Occupied_Berlin.svg

 

特別な飛び地

日本でも同様の話だが、行政上の境界線を敷く場合は、やはり飛び地と言うものが存在してしまう。東西ベルリンの分割時も各地に飛び地が存在したが、かなりの数は土地交換などで解決したそうな。
しかし、ここSteinstuecken地区が他の飛び地と違うのは、そこに200人ほどの人が住んでいた、と言う事実。
ベルリンの壁設置後、完全に陸の孤島と化すSteinstuecken地区の住民への便宜を図るためにこの道は作られた。
(そのために土地交換は行われた事と思う)

写真:かつてここに壁があった事を記す案内板。

2014_006_berlin_m_4 2014_006_berlin_m_8

現在は、どこにでもある普通の集落。
近郊列車の駅とを結ぶ巡回型の路線バスが、何本か通り過ぎるだけの静かな集落。

なお、ここは現在でもベルリンの飛び地であるため、そこには市境がある。
ポツダムとベルリン、それぞれの市名が書かれた看板が立っている。
ポツダムの看板には「Landeshauptstadt(州都)」と書かれている通り、この街はブランデンブルク州の州都である。

なおベルリンはベルリン市そのものが一つの州の様な扱いになっている。
この看板には、地区の「Markt Zehendorf」と市区名が書かれている。

この場所は日本で言うならば、東京23区と多摩地区の境の様な場所だが、何ともノンビリとしているのがいかにもドイツらしい。

2014_006_berlin_m_52014_006_berlin_m_6

さて、ここに来たのは「壁跡」の為だけにあらず。

次回へ続く>>




カテゴリー: Bierreise2014 パーマリンク

西ベルリンの「飛び地」散歩==ドイツビール紀行2014(その18)== への1件のコメント

  1. ピンバック: 原型残すベルリンの壁と土壁礼拝堂==ドイツビール紀行2014(その19)== | ビール文化研究所 / Das Bierkultur Institut

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください