ハノーファー今昔物語=ドイツビール紀行2008春(その3)=

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ハノーファーの市庁舎のホールには各年代の模型が置かれており、その発展が分かるようになっていた。
一番古いのは1689年。
まだ都市国家であったハノーファーは掘りと城壁に囲まれている。
続いては戦前の街並み。
堀は埋め立てられ、そこが道路になっている。
ハノーファーに限らず、この都市構造をした街はドイツに多い。

そして戦後、連合軍の爆撃を受けた街の様子。それはまだに瓦礫の山。
ここから市民による復興が始まる。
そして最後は今日のハノーファー。
産業都市として、大学都市として様々な顔を持つ街。

続いて街を歩いてみる。
連合軍の空爆により破壊され尽くしたハノーバーの様子を今に留めているのが、このエギディエン教会。
ドイツでは、当時の記憶が薄れない様に破壊された建造物の一部を保存している所が多い。一番有名な建造物のひとつがベルリン中心部クーダム地区に鎮座するカイザーヴィルヘルム記念教会。

市庁舎方面からMarkt strasse(マルクト通り)を進むと、旧市街の中心であるマルクト広場に出る。
この空間を形成しているのは、14世紀に建造されたMarkt Kirche(マルクト教会)と煉瓦作りの建物であり、ここだけ時間が止まったような感じがする。
所々に木組みの家が建っているが、これらの街並みは戦後復興されたもの。
他の街と同様に、戦後復興の際には当時のままの姿を再現した苦労が見られる。

街を歩いていると、この寒い3月の、それも曇った空の下、好んで外でコーヒーを愉しむ人々に遭遇した。
ドイツ人は外が好きで、夏の間は広場のテラス席やビアガーデンで日光浴を楽しみながらの休日を過ごす人が多いのだが、毛布を掛けてまで外でと言うのは・・・。
さすがにジェラードを食べている人は居らず。

さて、この日はドルトムントからハノーバーへと日帰りトリップにやって来たが、二日後にはベルギーのアントワープへ行くことになっていた。

ベルギービールと言うと、飲み仲間であり、我が家の近くに職場がある「素晴らしきベルギービールの世界」の管理人K氏が詳しいので、ドイツから電話をして情報収集をしてみることにした。

「ビー・ビー」
と明らかに日本とは違う音が携帯から聞こえて来た。
彼は海外出張が多いので、またどこかに行っているな、と思った所で
「もしもし〜〜」
とKさんの声。

「あ〜、どうもどうも。明後日、ベルギーに行くだけぇんが、アントワープっつといろんなビールがあるだら??」
と、共通語であるしぞ〜か弁で会話が始まる。
いろいろと情報収集が終わると、
「ところで、所長は今どこにいるだ?」
「ハノーファー」
「え??僕も!今はハノーファー!!」

何とビックリ、二人とも日本の携帯を使って市外通話をしていた。(爆)

展示会で来ているそうで、夕方ちょっと時間があるから駅で会いましょう、となった。
数時間後、普段は忙しくてなかなかお会いできないKさんと、なぜかハノーバーで乾杯!!

次回へ続く>>