ボートハウスは休業中
さて、社会見学の後、Söhnelwerkftという所へ行ってみた。
総合工房施設の様な場所で、ここでパンやパスタ、そしてビールなどが作られている。
Teltowkanal(テルトウ運河)の終点近くにあり、水辺のビアガーデンがとても気持ちの良い場所なのだが・・・。
来るのが早すぎた。笑
パン屋もあるから朝からやっていると思ったのだが、さすがに人里離れた運河沿いのパン屋に毎朝来る人もいないらしい。
この日もこれから家族を伴ってのベルリン観光へと向かうため、また出直す事にする。
壁巡りの第二弾
Sバーンを乗り継いでBernauer Strasseへ。
前日はアーティストによって色とりどりにペイントされたEast Side Galleryを訪れたが、こちらはベルリンの壁が当時のまま保存されている場所。
展望台が設置されており、ベルリンの壁の緩衝地帯を上から覗く事ができるのだ。
写真左:展望台全景
写真右:100mほどの壁が当時のまま残されている。左端にあるのは監視塔。
写真左:展望台の欄干には当時の写真などが展示されており、かつての姿と見比べする事ができる。
写真右:敷地内にある円筒形の建物は贖罪礼拝堂。
贖罪礼拝堂
円筒形の建物に行ってみた。
建物壁面に掲げられた(と言うか作り込まれた)十字架からもわかる様に教会であるが、正式には礼拝堂で贖罪礼拝堂(Kapelle der Versöhnung)と言う。
この礼拝堂は、かつて1894年建造の贖罪教会(Versöhnungskirche)があった場所に建っている。
ベルリンの壁が築かれた時、この贖罪教会はその真ん中に入ってしまった。
当然、人が入れ近づけない。この教会に通っていたひとの多くは西ベルリンの住民だったので、彼らの為に集会所が作られた。
誰も使わなくなった・・・と言うよりも壁の中に入ってしまって誰も行けなくなったこの贖罪教会を、なんと当時の東ドイツ政府は1985年に爆破破壊してしまったのだ。
そして、壁崩壊10年後の1999年に、この贖罪礼拝堂が着工。
かつての教会跡の横に鎮座する形で建設されたのだが、当時のベルリンで多く建設されていた鉄筋コンクリートとガラスの建築物とは正反対に、土壁と木材で作られている。
写真左:かつての教会があった場所には線が引かれている。
写真右:本体は土壁、そして周りを木材で取り囲んだ独特の景観。
礼拝堂の中は土間。
爆破された旧教会の瓦礫の中から、ほぼそのままの姿で発見された祭壇が祀られている。
土壁の中に降り注ぐ天日が土壁のデコボコを立体的に写す。
ピンバック: 西ベルリンの「飛び地」散歩==ドイツビール紀行2014(その18)== | ビール文化研究所 / Das Bierkultur Institut
ピンバック: 昼下がりのエコマルクトでピルスナー==ドイツビール紀行2014(その20)== | ビール文化研究所 / Das Bierkultur Institut